自分の感情

雑感

毎日を忙しくしていると、自分の感情に疎くなる。

世の中というものを見た時、自分という個人のことなどまったく無視して回っていく。

突然、道の真ん中で立ち止まる人。それに対して、邪魔だな。と思う自分の気持ち。

スマホを見ながら歩いて前からやってくる人。狭い道で横に並んで話しながら歩いて近づいてくる人たち。

それに対して、あぶないな。なぜ前を見ない? 私がいるのになぜこの人は道を譲らない? 仕方がない。こちらが端に寄るか。そして、なぜ彼・彼女が道を譲らず、私が譲らないといけないんだ?と

という、怒りにもにた苛立たしさを感じる。

そんな感情の脇に、まぁまぁ。そうカリカリせず。お互い様じゃない。彼・彼女もまだ若いから周りのことが見えてないんでしょう。見えている私が譲ればいい話でしょう。

冷静な私がそう言う。まぁ、そうかも知れない。

しかし、こんな若者が将来この社会を動かす主軸になっていったととき。その頃の私達はの生活は果たして大丈夫なのか?そんな気持ちも湧いてくる。

そんな苛つきや腹立たしさのような、瞬間的な周りの状況に対する反応や理不尽な出来事のニュースを見聞きしたときの反応的な感情に身を任せていると、本来の自分の持ちたい感情。平穏で平和で安定し、現在に対する幸福や将来に対する希望といった感情を見失ってしまう。

知りもしない赤の他人に感情を揺さぶられてしまい、自分自身の感情を見失ってしまっては、元も子もない。自分自身、そして自分の家族。自分の身の回りにいる仲間や友人、知人。仕事の関係者。そういった少なくても大切な人たちのためにも自分の感情に敏感になろう。

もう二度と戻ってこない今この瞬間というミクロ的な時間感覚と、未来永劫と続くマクロ的な時間軸においても自分自身の精神、感情、感覚を自分自身で内部からコントロールできるようにありたい。